飲食業にこだわる理由

Gerd AltmannによるPixabayからの画像 7.起業

食べることが昔から好きで、その延長で――。
それがほぼ理由の全てではあるのですが、もう少し突っ込んでお話をしておこうと思います。

少年期、青年期、壮年期、そして初老の域に達し。
食べ物の嗜好は大きく変わりましたし、「好みの飲食店」についての考え方も、変わって来ました。
とにかく安くて、量が多く、それでいておいしいものを提供してくれることを望んでいた子供の頃に比べ、今はお店の雰囲気とか、くつろげる内装とか、立地とか。そういったことも加味してお店選びをするようになりました。

食べる、ということは、栄養の摂取が目的ではありますが、「食べることを通じて、人とふれ合う」こともまた、大切な目的になり得ましょう。
ですから自然と、日常自分が使うお店も、ただおいしいだけ、安いだけのお店、というよりは、その日その時の気分や一緒に食事をする相手、あるいは空き時間、いろんな時々の条件があって、それにそぐうお店をチョイスする。これは私に限らず、誰しもそうだと思います。

ですから、自分の希望要望に応じたお店を探そうと思うなら、その選択肢となるお店は多ければ多いほど自分の希望にマッチする確率は高くなるわけです。

ですが。
2020年より始まったコロナ禍で、なかなか安穏としたことは言ってられなくなりました。
飲食店、という業態について調べれば調べるほど、飲食業を取り巻く現在の状況は、まさしく「悲惨」の一言に尽きる、そう思うようになりました。

飲食業は、休日の少ない長時間労働、薄利多売、過酷な肉体の酷使が常態となっている業態です。
それは、人が食事をするタイミングはほぼ決まっており、その時間めがけてお客が殺到すること、原価率が高いわりに値上げしにくいこと、深夜朝方という長時間営業をしないとお客に「オープンしていること」すら認知してもらえないほどの過当競争にさらされていること、など、原因はさまざまです。
このような業態特有の状況に加えて、コロナ禍による営業時間縮小、密を嫌うお客のリアルな減少、毎月請求される好立地ほど高額な家賃、等、負担が折り重なっている。弱い基盤でなんとかやっている個人店など、ひとたまりもないでしょう。
(それゆえに、緊急事態宣言特別枠の補助金や、事業再構築補助金、小規模事業者持続化補助金のような補助が国から出されることは必要不可欠であり、そのための税金拠出もやむなし、と思っております)

ただでさえ、私が現在住んでいる地方都市――人口十万前後の、小規模都市――は、年ごとに中心地が衰退して行っており、空き店舗・テナント、シャッター街が目立つ町となりつつあります。これにコロナ禍で飲食店までなくなってしまったら、生活に彩りをもたらしてくれるものが軒並み、根こそぎ町からなくなってしまいます。

幸い、我が町の気質として、外での飲食を好み、居酒屋やバーなどの外飲みが大好き、というものがあり、このコロナ禍が落ち着いたのち、再び奮起して駅近の好立地でお店をやりたい! という若い人はどんどん現れてくれること、と期待しています。
しかしその若い人たち全員が、お店を開くための資金を持ち合わせているか、と言えば怪しい。
今の時代はまた、老齢人口の高さから、介護等の必要に迫られた「遣わなければならない人たち」に遣うおカネが遣われている一方、若い人たちに富を分配するシステムを全く作っていない、あるいは意図的に無視しているような社会構造になっています。

これでは、町単位で見ても再起する方策が見えず、八方塞がりです。
若い人たちが希望を持てるような町にならなければ、まず、お年寄りが安心して暮らせる町というのは成り立たないはずなのです。――こう言えば綺麗事、戯れ言のたぐいですが、若い人たちが率先して産業を興し、おカネを稼いでくれなければ、お年寄りに回るおカネも国に入っては行かないことを考えれば、あながち綺麗事で片付けるわけにはいかない、という気もするのではないでしょうか。

将来的に、自分が歳を取り、ふらっと町に出て、立ち寄ったお店でおいしいものを食べ、お酒をいただき、活気あるマスターの仕事ぶりを眺めていられる……そんな贅沢な時間が欲しいがために、自分は飲食業という業態を興そうとする人たちを応援したいのです。

つまるところ――それは、自分のために。

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